GIOVANNI BATTISTA VIOTTI
イタリア北西部の小村フォンタネット・ポに生まれ、フランス革命期前後のパリとロンドンにおいてヴァイオリン演奏で一世を風靡し、近代ヴァイオリン奏法の父といわれるジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティの生涯を紹介する。
(33)ヴィオッティ国際音楽コンクール
ヴィオッティの名を冠した音楽コンクール、”ヴィオッティ国際音楽コンクール”がヴェルチェッリ市において1950年から続いており、2009年には60回を数えた(ここに書かれている音楽コンクールの情報は2009年現在のことである)。
ヴェルチェッリ市はミラノとトリノの中間に位置する人口25万人の中都市で、両方の都市からいずれも汽車で1時間ほどのところに位置する。
18世紀には最大の米の産地であったが、農業中心の産業構造は今でもヴェルチェッリの姿であり、農業生産物を扱う商業都市として重要な地位を占めている。
ヴェルチェッリの駅を降りると左手前方に2本の高くそびえる鐘塔をもつ教会が目に入る。
ヴェルチェッリのシンボルとなっているサンタンドレア聖堂である。13世紀に建てられたこの教会は、ロマネスク調の建築物としてイタリアで最も美しくかつ保存状態のよい建物といわれている。
ヴェルチェッリの市街地の中心部はあまり広くなく、毎年ヴィオッティ国際音楽コンクールが開かれるTeatro Civico(市民劇場)までは駅から300m、市の中心の広場であるカヴール広場までは500mほど歩けば到達できる。
街の通りにはヴィオッティの名前を取った”ヴィオッティ通り”や”カフェ・ヴィオッティ”もある。
ヴィオッティ国際音楽コンクールは、ヴィオッティを称える活動を続けていたジョゼフ・ロボネ(Joseph Robbone)により創設された。
ソシエタ・デル・クウァルテット・ディ・ヴェルチェッリという名前の組織が当初よりその運営に当たっており、現在(2009年)は亡くなった創始者の後を継いでマリア・ロボネ夫人が代表者を務めている。
このコンクールはヴィオッティの作品や業績を支援することと直接関係があるわけではなく、若手演奏家を対象とした国際音楽コンクールである。
審査員はイタリア国内と国外の優れた音楽家、音楽学者、批評家、芸術家から構成される。
ピアノと声楽部門のファイナルは、トリノにあるオーケストラの伴奏で行われる。
コンクールの会場の市民劇場は鉄道のヴェルチェッリ駅から歩いて5分ほどである。
ヴィオッティ国際音楽コンクールはピアノと声楽を中心の種目とし、年度により、室内楽、作曲、ピアノ二重奏、管楽器、ダンスなどが加えられてきた。
ヴァイオリン部門は1955年に1度、その後1984年から1988年の5年間だけコンクール種目に加えられていた。
ヴァイオリンの名手であったヴィオッティの名前を冠したコンクールでヴァイオリンの種目がないのは不思議であるが、その理由は、同じ北イタリアのジェノヴァでパガニーニ国際コンクールが開催されていることと関連している。
国際音楽コンクールの連合組織に加盟している国際音楽コンクール間の調整で、パガニーニ国際コンクールがヴァイオリン部門だけを担当し、ヴィオッティ国際コンクールではそれ以外の種目を受け持っている、というのがマリア・ロボネ会長の説明であった。
1950年からということで、60年以上の歴史をもっており、日本人との関わりも大きい。
特に最近では日本人の参加者が多く、ピアノ部門に関して言えば、最近10年の間、国別では日本からの参加者が最も多く、地元イタリアからの参加者よりも多い。
例えば2002年のピアノ部門では、参加者53人中26人が日本人であったが、セミ・ファイナルに進んだ6人中1人が日本人であった。
毎年あるいは1年おきぐらいに日本人の中から受賞者が出ている。
コンクールはヴェルチェッリ市の中心にある市民劇場で、1次、2次予選は非公開で行われ、セミ・ファイナルとファイナルは一般に公開されるのが普通である。
ピアノ部門ではファイナルはオーケストラとの競演で協奏曲を演奏する。ファイナリストに選ばれると名前が市民劇場の正面玄関に審査員の署名を添えて掲示され、決勝に望む。
2004年の例では、ピアノ部門で3人がファイナリストに進んだことが掲示された(右図)。このうち日本人が2人含まれていたが、最終結果ではこの年は1位のみの受賞で、2位と3位は該当なしとなった。
残念ながら日本人は受賞できなかった。
このコンクールは多くの音楽家たちがその経歴の最初のステップとして挑戦している。
ヴァイオリン部門のサルバトーレ・アッカルド、ピアノ部門ではダニエル・バレンボイムなどが受賞している。
また、名指揮者クラウディオ・アッバードは1955年にピアノ部門でファイナリストになっている。
日本人ではヴァイオリンの渡辺玲子、ピアノの津田真理、河村尚子などがその年の最高位を得ている。
人口20万人程のヴェルチェッリ市は、市当局主導で文化活動を行い、文化的に高い水準にある都市といえる。
イタリアの多くの都市がこのような状況にあると思われ、音楽の歴史と音楽に対する想いの大きさに心打たれる。
このコンクールのお陰でヴィオッティの名前が広く世界中に知れ渡った。
参考文献 菊池修 著 ”ヴィオッティ” 慧文社 (2009).
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