GIOVANNI BATTISTA VIOTTI
イタリア北西部の小村フォンタネット・ポに生まれ、フランス革命期前後のパリとロンドンにおいてヴァイオリン演奏で一世を風靡し、近代ヴァイオリン奏法の父といわれるジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティの生涯を紹介する。
(31)ヴァイオリン演奏のヴィオッティ派
「ヴァイオリン演奏法の創始者はヴィオッティである。
現代のヴァイオリニストを褒め称えようとして、そのヴァイオリニストの演奏法の源を探ればヴィオッティにたどり着く、といっても言い過ぎではない。
イザイの場合、ヴィエニャフスキ、マサール、クロイツェル、ヴィオッティと遡り、ヨアヒムの場合、ベーム、ロード、ヴィオッティと遡れる」。
これはバックマンが1925年に著した『An Encyclopedia of the Violin』の中でヴァイオリ二ストの繋がりについて述べたものである[1]。
フランスにおける19世紀のヴァイオリン演奏の楽派は、1795年に設立されたパリ・コンセールヴァトワールに拠点を置き、高度に体系化されたフランス風ヴァイオリン演奏とその教育の基礎を固めた。
その第一の功労者はイタリア人のヴィオッティである。ヴィオッティの演奏スタイルは、バイヨ、クロイツェル、ロードらを通してヨーロッパに広く紹介された。
また、19世紀初頭にバイヨ、ロード、クロイツェルによって著され、パリ音楽院で採用された『Methode de violon/1803』と、それをバイヨが校正した『L'Art du Violon/1834』の2冊に取り入れられており、これらの教本に基づいた画一的な教育によりヨーロッパ中に広く普及していった。
ヴィオッティが”近代ヴァイオリン奏法の父”、”近代ヴァイオリン奏法の創始者”、”ヴァイオリン奏法のフランス・ベルギー派の祖”などと称されるゆえんである。
19世紀の初めにはヴィオッティは演奏活動からほぼ引退していた。
ヴィオッティは公共の場での演奏活動期間は10年に満たなかったが、彼の演奏の資質はヨーロッパ中のヴァイオリニストに行き渡った。
技術的な輝かしさ、息使い、美しく力強い音色、演奏における印象深い特徴などが聴衆たちの心を捕らえた。
ロードが彼の代表的な生徒であり、クロイツェルとバイヨは彼の弟子として認められている。
この3人はパリ音楽院の教授として共通したヴァイオリン教授方法で多くの生徒を指導して世に送り出したため、フランス派と呼ばれるヴァイオリン演奏楽派が形成された。
これはフランスにおけるそれ以前のヴァイオリン演奏楽派ではなく、”ヴィオッティ派”である。
フランスと音楽交流の深かったベルギーでは、ヴィオッティの生徒ロベレヒトとバイヨから指導を受けたベリオが
ブリュッセル音楽院を設立して生徒を指導したことにより、ヴィオッティの演奏法が浸透し、
ヴァイオリン演奏におけるフランス・ベルギー派が形成された。
さらにヴィオッティの演奏法はロードやバイヨなどにより広くヨーロッパ各地に伝えられ、影響を与えた。
ヴィオッティの残した遺産は彼の生徒たちと弟子たち、さらにその生徒たちを包み込み、フランス、ベルギー、オーストリア、
ドイツ、ロシア、日本、アメリカなどに及ぶ広くて深いヴァイオリン演奏家の系譜を作った。
ヴァイオリンを学ぶ生徒たちはヨーロッパの各地で教育を受けることが多いため、師弟関係を固定して決めることは難しいことであるが、フランス・ベルギー派を中心にしてヴィオッティから始まるヴァイオリン演奏家の繋がりをまとめてみた。
ヴィオッティから始まるヴァイオリン演奏家の繋がり[2]
参考文献
[1] A. Bachmann, An Encyclopedia of the Violin 1925, reprinted Da Capo Pree (1966).
[2] 菊池修 ”ヴィオッティ” 慧文社 (2009).
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