GIOVANNI BATTISTA VIOTTI

イタリア北西部の小村フォンタネット・ポに生まれ、フランス革命期前後のパリとロンドンにおいてヴァイオリン演奏で一世を風靡し、近代ヴァイオリン奏法の父といわれるジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティの生涯を紹介する。


(18)ザロモン・コンサートでの活躍

  フランス革命の騒乱を逃れてイギリスに渡ったヴィオッティは、パリで中止していた公共の場での演奏活動を再開した。 この頃のロンドンでは、毎週決められた曜日に声楽と器楽曲によるコンサートを行う予約会員制の連続演奏会が盛んであった。 ヴィオッティは当時人気の高かったハノーヴァー・スクエア・ルームズにおけるザロモン・コンサートでヴァイオリン演奏を披露し喝采を博し、ロンドンでも優れたヴァイオリニストと評された。
  18世紀後半のロンドンではイタリア・オペラに人気があり、国の保護を受けてコヴェント・ガーデンやドゥルリー・レーンの劇場で上演されていたが、独奏協奏曲を含めて新しい演奏曲を積極的に取り入れた予約会員制連続演奏会が、時代の変化に対応したコンサート活動として人気を得ていた。 これらのコンサートは、シーズン毎に毎週あるいは一週間おきに演奏会を開催するシリーズもので、それに対して予約会員制をとってチケットを販売した。 聴衆は特定の人に制限されず一般に公開されていた。 毎年の音楽シーズンは年の終わりの11月頃からオペラの公演が始まるが、連続コンサートは年が明けた1月から2月にスタートし、5、6月に終了するのが慣わしであった。 代表的な連続演奏会として、ハノーヴァー・スクエア・ルームズで催されたバッハ・アーベル・コンサート、プロフェッショナル・コンサート、ザロモン・コンサートがある。

  ハノーヴァー・スクエア・ルームズは1775年にバッハ・アーベル・コンサートのために建設された。 コンサートは17世紀までは教会、宮廷、貴族の館、あるいは大学などで行われていたが、それは市民のために開かれたコンサートではなかった。 18世紀に入って公開の演奏会が始まっても、そのための専用の会場といえるものはほとんどなかった。 パリのコンセール・スピリチュエルもチュイルリー宮殿の”スイスの間”や”機械仕掛けの間”を使用していた。 ライプチヒのゲヴァントハウスもその名の通り”織物会館”であった。 18世紀後半になってイギリスに”ルーム”といわれるコンサート会場が出現したが、ハノーヴァー・スクエア・ルームズがその代表的なものである。 2階に全フロアーを占めるコンサートホールがあり、900人を収容した。
  ハノーヴァー・スクエアは、ニュー・ボンド通りとリージェント通りに挟まれてオックスフォード通りを南に入ったところにある小さな公園である。 その東側、ハノーヴァー通りに沿って建てられた建物がハノーヴァー・スクエア・ルームズである。 バッハ・アーベル・コンサートに続いてプロフェッショナル・コンサートがここを使用し、1786年と1791―94年にはザロモン・コンサートもこのルームで開催された。 1793年にヴィオッティがヴァイオリン協奏曲を弾いてロンドン音楽界にデビューしたのもこのルームである。
  ヨハン・ペーター・ザロモン(Johann Peter Salomon/1745―1815)はボンで生まれた。 1781年にロンドンに移り、ヴァイオリン独奏者、四重奏演奏者、指揮者、興行主などの多方面で活躍し成功を収めた。 特にコンサートの企画で大きな業績を残している。 1786年から会員制の定期演奏会”ザロモン・コンサート”を開始し、ソプラノのマーラ夫人、ヴァイオリニストのヴィオッティなど、国際的に有名な音楽家たちを登場させた。 また、1791年と1794年の2度にわたりハイドンにイギリス訪問の機会を作って招聘し、ハイドンの交響曲を紹介した。 ザロモンとハイドンは親友の間柄となり、ハイドンはザロモンのために『ザロモン・セット』と呼ばれる12曲の交響曲を作曲している。
  ヴィオッティはロンドンに渡った翌年の1793年にはハノーヴァー・スクエア・ルームズにおけるザロモン・コンサートに出演した。 このシーズンの第1回のコンサートは1793年2月7日に開催された。 その演奏会のプログラムは2月7日のザ・タイムズ紙に次のように掲載されている。

   ザロモン氏によるコンサート/ハノーヴァー・スクエア

ザロモン氏が主催する最初のコンサートが本日2月7日に開催されることを、貴族ならびにジェントリの方々に慎んでお知らせ致します。

第T部
ギロヴェツ(Gyrowetz)の交響曲
ブルニ(Bruni)氏によるアリア
ベゾッツィ(Besozzi)氏によるオーボエ協奏曲
マーラ(Mara)夫人によるアリア
ヴィオッティ氏による新作ヴァイオリン協奏曲(同氏の本国の公共の場における最初の公演)

第U部
ハイドンの交響曲
ブルニ氏によるシェーナ
ギロヴェツのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、オーボエ、ファゴットのための協奏曲
マーラ夫人によるシェーナ
ハイドンの交響曲

開場は7時で、8時ちょうどに開演します。


 1793年のザロモン・コンサートはこれ以降毎週木曜日、同時刻にハノーヴァー・スクエア・ルームズで12回開催された。 ヴィオッティがロンドンでの人気を獲得したことは世評から確かめられる。 第2回のコンサートの後、批評家たちはヴィオッティの演奏を称賛している。 「ヴィオッティの演奏振りは、その難しさに驚かされるというよりも、その情熱によって光り輝いている。彼は驚くほど感覚を刺激するばかりでなく、心を感動させる」、 「この演奏家が見せる多彩な能力は信じられないほどである。彼の力強さ、優美さ、演奏振り、美的感覚により、彼の演奏はこれまでに聴いたことのないような音楽を作り出している」と評した。 ヴィオッティの演奏はロンドンでも極めて高い評価を受けた。
  ヴィオッティは12回の演奏会すべてに出演していて、この演奏会のために作曲されたヴァイオリン協奏曲を演奏し、声楽のマーラ夫人と共にザロモン・コンサートの中心的役割を果たした。
  翌1794年のザロモン・コンサートは、例年通りハノーヴァー・スクエア・ルームズで開催され、ハイドンの2度目のロンドン訪問により活気付いた。 ヴィオッティも新しい協奏曲を披露したり、ザロモンと一緒にヴァイオリン二重奏曲を演奏したり、その中心的役割を果たした。 ヴィオッティはザロモン・コンサートでハイドンと共演し、ハイドンが主催する慈善演奏会にも出席してヴァイオリン協奏曲を演奏するなど、ハイドンと親密な関係を結んでいる。
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